自分の故郷の小金井も褒められた状況ではないがお隣の国分寺も長年に渡って小金井と同じような問題を抱えている。同様にして近隣の市が同じような問題を抱えており、東京都の23区外の市の多くが同じような問題を抱えている。なにが問題なのか?要は活動家たちが市内に住居を構え、その在住地域の政治・思想を持ち込むべきではない地元主催の祭りなどのイベントでまで妙な出店を行ったり妙なビラを配ったり署名を集めたり、祭りの趣旨とはまったく合致していないことを手前勝手な言論の自由とやらを持ち出して強行するのだ。平和的にごく普通の生活を営んでいる家族連れはまさにドン引き。祭りにも最低限のマナーというものがあり、勿論、政治活動などは論外なのではあるが、9条の会などいわゆる市民活動家たちは一向にそういった祭りを台無しにする行為を止める気配がない。彼等は権利というものを履き違えて、祭りの雰囲気をぶち壊そうが一向に気にかけることもなく毎年同じ行為を繰り返す。
そんな中、特に9条の会による執拗なイヤガラセとも言える出店に悩まされてきた国分寺市で開催される「国分寺まつり」の主催者が遂に動いた。以下は東京新聞の記事なのであるが、やはりいつもの東京新聞とでも言うべきか、まるで9条の会が被害者のような記事になっている。しかしながら、記事中からも推察できる事実のみを踏まえて事態を把握すれば、誰が誰に迷惑をかけて、誰が困り果てた末にそういう決断に至ったのかは容易に推察できる。そう被害者はどう考えても「国分寺まつり」であり、国分寺まつりを普通に楽しみたい来場者たちだ。
9条の会の出店拒否 「国分寺まつり」毎年参加一転(東京新聞)
東京都国分寺市で十一月に開かれる「国分寺まつり」で、毎年ブースを出している護憲団体「国分寺9条の会」が今年の参加を拒否されたことが二十八 日、分かった。市などでつくる実行委員会は、内容が政治的であることを理由としている。9条の会は「表現の自由のじゅうりんで、到底承服できない」と同 日、実行委と井沢邦夫市長に参加を認めるよう要請書を提出した。 (林朋実)
同会は立川市内で記者会見した。まつりには二〇〇八年からブースを出し、憲法九条に関するパネル展やシール投票をしている。
まつりは今年から、ブース出店者の募集要項に「政治・宗教的な意味合いのある出店」の場合は参加を不可とする文言が加わった。
実行委の島崎幸男会長は「市民が親睦する場で賛否両論あるものを取り上げ、いざこざが起きるのは好ましくない」と説明する。
これに対し、9条の会事務局の増島高敬(たかよし)代表(74)は「政治的内容についても市民が意見交流してコミュニケーションを深めることは、まつりの趣旨にも沿うはず」と話す。過去にトラブルはないという。
市議会の議事録によると、昨年十一月の総務委員会で委員の一人が、特定の政治思想を帯びた内容の出店が続くなら市は五百万円の補助金支出をやめるべきだ、との趣旨の発言をし、市側は「指摘の趣旨に沿う対応を検討する」と回答していた。
増島さんは「市が補助金をたてに出店拒否を主導したのでは」と疑念を募らせている。
今回のまつりでは9条の会の他にも、「バイバイ原発/国分寺の会」も同じ理由で参加を拒否された。同団体は二十九日に対応を協議するという。
国分寺まつりは十一月二日、国指定史跡「武蔵国分寺跡」に近い都立武蔵国分寺公園で開催。今年で三十一回目。歴史行列や多数の模擬店があり、例年三、四万人が訪れる。
祭り主催者は出店希望者への募集要項に「政治・宗教的な意味合いのある出店」を禁止する旨を明確に示していた。それで出店拒否をされたら、まるで言論弾圧かのように語る9条の会も東京新聞もどうかしている。祭りの場で政治思想の出店を許してしまうことの方が、市も実行委員会に参加している公共性の高いイベントでは不適切だ。ただの一般常識レベルの話になるが、市のお祭りではいかなる政治主張も許されないと考えることは当たり前のことであり、そういった政治的な出店を許すことは市側が500万円もの補助金を支出しているイベントでは許されないことだ。つまり、今まで9条の会が祭りに出店できていたことの方が主催者の間違った判断であったのだから、それを正すことは当然の帰結ということだ。
当ブログが注目した点は9条の会事務局代表が「過去にトラブルはない」と主張しているところ。そりゃ表面上はトラブルは無かったことだろう。では祭りの雰囲気にまったく影響が無かっただろうか?楽しい祭りの場で延々と9条がどうのと主張している出店のそばを通るだけでも来場者の中には不愉快に感じた人々がいたことだろう。平和に生きる人々からしてみれば「関わったらダメ」な人々ってのは、その場にいられるだけで迷惑なものだ。だからこそ、今の世の中の大きな流れとしては刺青を入れている者の入場を断る場合があり、暴力団関係者もいかなるイベントにも参加できないのだ。9条の会の会員たちが自分たちがごく平和的に生きている人々からはどのように見られているのかまったく自覚症状がないことが恐ろしい。祭りに出店しておいて誰も迷惑だと思っていないとまるで信じ込んでいるかのようで、その感覚こそが社会の脅威となっている。
今回の件は、国分寺が妙な市民活動のオンパレードの市といった状況から脱却を図る良い機会だと考える。本来は国分寺は住みやすい市なのだ。駅前では妙な政治思想が書いてあるビラ配りが頻繁に行われ、祭りでは9条がどうのとか脱原発がどうのといった祭りとはなんの関係もない政治主張を行い妙な署名まで行う出店なんて市のイメージダウンは今までいかばかりだったことだろう。国分寺市周辺の市も今回の祭り主催者の決断に倣って税金で補助されている公共イベントからの活動家たちの排除を推進していくべきだ。今までのようなルールが守れない活動家たちに合わせる行政では大多数の市民にはなんのメリットもないどころか折角の祭りでさえ台無しになってしまう。祭りからの政治主張の排除、こんな当たり前のことすらも行政が通せなかったことの方がおかしかっただけのことだ。少なくとも今後の国分寺まつりは安心して行けるお祭りとなったということだ。良いことだ。
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