福島第一原発の事故に関しては、当時の菅総理大臣や枝野官房長官らの調書も公開されました。原発からの撤退を巡って、食い違いも表面化しています。
菅氏は、震災から5日目の3月15日の午前3時に当時の海江田経済産業大臣から「東電が『撤退したい』と言ってきている」と相談を受けたと証言しました。これについては、海江田氏や枝野氏も「全面撤退させる趣旨だった」と証言しています。その後、菅氏は、東京電力本社に乗り込んで「撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ず潰れる」などと演説し、「それ以来、撤退の話は全く聞かなくなった」と説明しました。一方、吉田元所長は「最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした」と全面撤退については強く否定しています。
ソース元:
テレ朝ニュース
朝日新聞の吉田元所長の調書を無視した捏造記事事件によって当時の政権与党だった民主党議員たちの言動の矛盾点が明るみになってきた。元々、首相にしろ官房長官にしろ原発の担当大臣にあたる経済産業相にしろ、単に興奮して騒いでいたようにしか見えず、日本の歴史に残る愚行を繰り返していた。菅直人が馬鹿げたタイミングで視察など行わなければベントも遅れず原発の水蒸気爆発も回避できたやもしれない。「直ちに影響はない」と枝野幸男が言ったところでなんの信頼性もなかった。そりゃ被曝したところで即死はしない。
菅直人の証言では、海江田元経産相が東電社員たちが事故現場からの全面撤退を望んでいると報告を受けたとある。だからこそ、当時からこの点だけは評価の声が大きかった当時の首相・菅直人による「撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ず潰れる」という東電に対しての激怒があったとされるのだ。そして東電は全面撤退を諦めて事態の収拾に尽力したという話だった。ところが吉田元所長の調書からはそもそも東電の全面撤退の気配すら無い。起きていない事案に対して当時の首相が激怒したということになる。これはおかしな話だ。
吉田元所長以下、必要だった人員はその職務を放棄することなく現場で奮闘したことは誰が見ても明らかだ。もちろん、生前の吉田元所長も認めているように、原発事故を防げなかった罪は吉田元所長自身にもある。震災当日の過失というわけではなく、その数ヶ月前、そして数年前からもっと取れる対策はあったはずだと吉田元所長も認めていたからこそ、命をかけてその責任を果たそうとしたのだ。そういう点で当ブログは吉田元所長を英雄視したことは1度も無い。愛すべき強い人物だなとは感じているが原発事故になんの責任もないヒーローが活躍したといった見方はしていない。あくまでも吉田元所長は自分の過去何年にも渡る甘さを認めた上で命をかけて対処したのだ。政府や東電本社の邪魔(妨害)を無視して海水注入などできる事の範囲内で適切な行動に移ってくれたことには感謝している。もし吉田元所長が上の命令どおりにロボットのように動いていたら事故はもっと悲惨なことになっていた。
朝日新聞は事実を捏造して記事にしたわけだが実際には東電の現場担当者たちは逃げ出してはいない。原発事故やその後の東電の対応については批判されるべきことは多々あるが、だからといって事実を「東電は悪だ」という傾向に持っていきたいが故に歪曲されることはあってはならない。事実は東電社員たちは現場から逃げ出してはいないだ。必要な人員、人材は確かに現場に残っていた。そこで更なる放射線被害や爆発に巻き込まれる可能性があったとしても東電社員と協力関係各位は残っていた。朝日新聞の捏造記事のようなことは無かったと遂に朝日新聞が認めている。
では海江田万里からの報告を受けた菅直人の激怒と、その後に東電が改心して現場に残ったとされるエピソードはいったいどこからやってきたのか?このエピソードすら事実無根だったのならば、菅直人という当時の首相は原発事故後に現場を荒らして発狂して邪魔したということしか残らない。それを誰かが嘘の武勇伝を作り出して、現場を混乱させたという首相のイメージダウンを少し軽減したということだ。なんという卑劣な行為だろう。一国の首相が乗るべき話じゃない。せめて多少の時間はかかるのはしょうがないにしても事実無根の武勇伝は事実ではないと訂正することが節度ある大人の対応というものだ。自分がやってもいない功績が独り歩きしたら、誠実な人物ほどその状況が耐え難く、事実訂正に躍起になるものだ。菅直人は普段からしょうもない妄言をブログで発表しているのだから、当時のことを訂正するチャンスはいくらでもあったはずなのだがまったくしていない。そりゃそうか、自分の選挙の際の演説でも延々と「自分は悪くない。東電が悪い。」という内容のことを繰り返すだけの候補者だった。自分の偽りのエピソードでも自分に利するものならば訂正はしないのだろう。恥ずかしい態度だ。
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