記事タイトルのとおりの思いをつい先程感じた故の記事。
アメリカと欧州時間に合わせたウェブ会議もあり、日本にいるときの方がむしろ24時間営業中といった感じの自分の生活。そんな事情とは関係なく日本での仕事もちゃんとやらねば法人税が払えぬのじゃー。日本では約3割の会社しか法人税を払えていない。勿論これはわざと赤字経営にしているような会社も含めた全ての登記会社の3割ということなので実態としての黒字化をしようとしてできている会社を割合で出したらもっと数字は良いはずなのだが、ともかく数字の上では3割の会社が納税して残りの7割は納税どころかむしろ補助金など諸々の税金で支えられている場合すらある。ミジンコとしては黒字化、そして法人税納税は企業を起こして経営していることの醍醐味なのでどうしても法人税は納めたい。それに自分の会社が存在することによって生まれる雇用や市場や下請け会社などへの経済効果もたまらない快感とも言える。要は必要とされる会社を生み出して続けていくことは止められたって止められない本能のようなもので、そういう望みを叶えてくれる安定した社会には自然と感謝の気持ちが出てくる。よく企業を大きくした資産家が寄付やら慈善活動を行うが、それは当然の発想というべきか、むしろそういう慈善活動を行う企業家たちは「なぜに資産を築けたのか」とよく理解しているので社会になにかを還元しないことにはいてもたってもいられないという感じなのだろう。節税だとか道楽だとか慈善活動に取り組む企業家たちが叩かれているところを幾度も見聞きしているが、税金対策だとか好感度アップとか、そういう単純な話だけではないと思う。変な例えだが、「今日は珍しく家にずっといてゆっくりしていて良い」という日に限って意味もなく外に出てしまうことはないだろうか?なにかせずにはいられなくなり、結局は動いてしまうのが人間なのだろう。慈善活動についても、法規制があるわけでもなく何もしなくても罰則規定などはないが「できる」と分かっていて「やらない」ということが苦痛な人々は少なくないのだろう。そんな経済に貢献したり、社会になにかしらの還元を行うにも、先ずは自分が働いて稼がないことには難しい。こればっかりは口だけではどうにもならず、規模の大小こそあれど、会社を黒字化して更に言えば会社を大きくしていかないことには夢や理想を語る段階まで辿り着けない。そう黒字化とは苦難の道であり、それを実現している日本の3割の会社がこの日本を支えることに大きく寄与しているのだ。
本日、吉祥寺駅前の18:30、菅直人
元首相(←信じられないでしょうが本当です)が、街頭演説をしていた。吉祥寺という人でごった返している場所でも聴衆の少なさは相変わらずだった。ほとんどの人々は素通り。民主党製作の「号外」という紙が配られていたが受け取る通行人もまばら。SPたちの多さだけが目立っていた。
この元首相の演説を通り過ぎざまに聴いたのだが今だに「吉田所長が~~~」と原発事故当時の言い訳をしていた。それ程までにやましいことがあるのだろうか?2年前の衆院選のときの演説と同じようになぜかテーマは原発事故なのだ。まるで今の内から地獄の門番への言い訳を練習しているかのように、この元首相の主張したいことは、いつまで経っても政策論争ではなく原発事故がなぜ起こったのかなのだ。
日本を物理的にも経済的にも外交的にも滅茶苦茶にした元首相が都内有数の人通りの多い街で街頭演説。立ち止まってその演説を聴いていた人々は僅か十数人、必死に号外を冠したB5サイズの紙キレを配るスタッフたち、元首相を囲み襲撃に備えるSPたち。生産性という意味ではゼロだ。演説の前を足早に通り過ぎる人々こそがヒーローたちだ。ほとんどの通行人は会社帰りか、その時間でもまだ帰社する最中だったことだろう。みんな疲れていても日々生活のために我慢して頑張っている。街頭で「自分は悪くない!」と演説している暇などない人々だ。
掲題の「政治家がどんなにクズであろうがそれはそれとして」に続く言葉としては「頑張ろう」だ。政治不信が募ろうが、元首相がどんなに腐った言い訳を街頭でマイク片手に叫ぼうが、そんなことに構ってもいられない。誰かがクズだから自分も頑張らないというのでは生きている意味すら見失う。世の中にどんなに酷いヤツがいようとも自分がそのマイナスよりも大きなプラスを作り出せばプラマイでプラスだ。自分は必ずそうしよう。街頭演説などする暇はないが必ずそうしようと思う。
[41回]
PR