昨年、BOSTON(ボストン)というバンドが来日した。日本での武道館ライブの為だ。BOSTONは往年という表現にはなるが日本でも人気を博していたバンドであり武道館ライブのチケットもすぐに完売したらしい。実のところ当ブログの管理人であるミジンコはBOSTON自体には興味を示したことがないがこういうブログをやっている手前、BOSTONのトム・シュルツに関しては嫌でも知ることとなった。BOSTONはバンドと称してはいるものの、作詞、作曲、編曲、演奏、レコーディング(エンジニアとして)、総合プロデュースとバンド活動のほとんどをトム・シュルツが行っているソロ活動と言える。さて、なぜにBOSTONには興味がないというのにウンザリするほどトム・シュルツの名前を何年も見聞きし続けているのかといえば、このトム・シュルツなる人物が強烈なシーシェパード支持者なのだ。ぶっちゃけた話をすればアメリカからも日本からも「トム・シュルツがまたおかしなことを言っている」といったご連絡やニュースは枚挙に暇がなく、つくづくその被害者の方々、つまりはBOSTONというバンドのライブを観に行ったつもりが望まないかたちでシーシェパードの活動を支援してしまったという自責の念にかられている方々への同情を禁じえない。
「ボストン シーシェパード」でGoogle検索するとそういう被害者の声が多数出てくる。概要としては、BOSTONの武道館公演の中盤でステージ上の巨大スクリーンにシーシェパードの映像が映し出されてのプロモーションが始まったというのだ。これはまさに騙まし討ちのようなものでBOSTONの楽曲を楽しみにしていた観客たちも唖然呆然だったことだろう。シーシェパードの活動を支持していないどころか批判している日本の観客が不本意にもシーシェパードへ資金援助している人物のライブチケットを購入して間接的に支援してしまったのだ。お金を払った上に後悔までしなければならない観客が気の毒だ。
例えトム・シュルツがどんな組織を支持していようとも、どんな政治主張を心に秘めていようとも、BOSTONの楽曲が好きでライブに行きたいと思う人々を別に責める気はしない。大前提として当ブログがどんな思想で運営されていようが、政治主張的には相反するであろうバンドとも特段そのバンドのライブに行く観客たちまで敵視するなんて馬鹿げたことはできない。それはまさに「人の勝手でしょ」な領域であり、トム・シュルツのシーシェパードへの思いは本当に愚かだなとは思いつつも、別にその楽曲についてファンがいようがいまいが特に気にするようなことでもないと考えており、正直いって今どんな音楽活動をしているのかも把握していなかった。要はシーシェパード支持者としては要注意ではあったが音楽活動まで注視することは「違うな」と感じていたのだ。例えば映画界においては、作品に対してのインタビューであったり、その行為自体が厳禁とされている映画賞での授賞式でさえ、作品とはまったく関係のない政治主張を入れたスピーチをする監督や俳優がいるのだが、基本的に「出入り禁止」のような扱いになる。勿論のこと、どんな業界でも政治思想の制約は無いわけなのだが、それを商業ベースのことに絡めてやることはルール違反でありマナーも違反しているということだ。映画作品の上映途中でいきなり政治主張のCMが入ったらそれはもう驚くだろうが幸いそんな経験は自分にはない。そんな事があったら映画に不信感を抱き今ほど手軽に映画にお金を費やさないかもしれない。映画のストーリーとして何らかの主張を込めることはあるだろうが、反戦映画など観客は観る前からそういうことは分かっているわけで騙まし討ちのような作品には出会ったことがない。ところが残念ながらそんなことが音楽業界では頻繁に起きているようだ。しかもベテランの有名アーティストたちがライブ中にそういう政治主張を始めたという話が次から次へと出ている。
サザンオールスターズの桑田佳祐氏についての件は有名だ。既に所属事務所の謝罪声明にまで至っている。さすがにライブステージで紫綬褒章を競りにかけるパフォーマンスの話を聞いたときには引いた。他にも数々の本人はそんなつもりではなかったといった言い訳を後から出しているが、安倍政権批判などを含めた政治主張を受信料で成り立っている公共放送の場やチケットを販売しているライブ上で行うのは筋が通らない。どこの政党が好きでどこの政党を批判したいといった考えは自由なのだが、報酬を受け取っており、その報酬は楽曲を歌い演奏することにより発生しているのだから、契約の義務は果たすべきだ。もっと簡単に言ってしまえば観客は曲を歌い演奏することにお金を支払っているのだから、関係のない政治主張をそこでやるべきではないということだ。Aの契約をして報酬を受け取ったのだからAのことをするべきということ。Aの契約を締結しておいて実際の仕事では関係のないBを逐一織り込むことは契約違反であり、Aの仕事を完遂していないという判断に至る場合もありその場合は契約不履行だ。・・・・・と小難しい言葉も入れたが一番おかしいのは「ファンを裏切っていること」、これに尽きる。
そしてこういうファンへの裏切りの新しい事例ではジュリーこと沢田研二氏のライブでのファンへの非礼だ。
ファンは呆然…沢田研二がライブでブチ切れ「嫌なら帰れ!」 (Yahoo!ニュース 日刊ゲンダイ)
一部抜粋:
そして、2時間近く歌い続けたジュリーが最後の最後でMCに立った時、“事件”が起こった。「イスラム国」の日本人人質事件にも触れつつ、「皆さん、大変な事態になりました。日本の将来を憂うのではなく自分自身の頭と心で考えなければなりません」と、自説をとうとうと述べるジュリーに、客席から「歌って~!」という黄色い声援が……。
すると、その声に反応したジュリー。間髪入れずにステージ上から、「黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!」と怒鳴りつけたというのだ。ファンは目が点。会場は凍り付くような雰囲気に包まれたというわけだ。
ジュリーは「3・11」以降、被災地への祈りと反脱原発ソングをリリースし続け、12年の衆院選では山本太郎氏の街頭演説にも参加している。政治への意識と関心は高く、憲法9条の大切さを訴えたり、ステージ上で「アッカン、アベ~」と安倍政権をからかうような発言もしている。
ライブチケットを購入したファンに対して「嫌なら帰れ!」と主催者側が言うのであれば途中で帰りたくなった観客たちへの払い戻し制度を設けるべきだ。ライブチケットを販売する際には、ライブパフォーマンスを披露することを明確に示しているであろうから、こういう主催者側、言わばチケット販売で売上を上げている側がライブパフォーマンスとは全く異なる行為をしておいてチケット購入者の退場を促すことは契約違反というべきかむしろ詐欺ではないだろうか?
そういうチケット販売契約の問題云々よりも繰り返しになるが長年アーティストを支えてきたファンへの裏切り行為が気にかかる。ライブに赴いた観客たちはそこでまで今日本中を憂鬱にさせているイスラム国の話を聞きたいだろうか?安倍政権についての見解をライブで知りたいだろうか?客席からの「歌って~!」はまさに至極もっともな要望であり、そういうファンたちが沢田研二という歌手を支えてきたというのに「黙っとれ!」はあんまりだ。
ライブでは楽曲を歌い演奏するべきだ。こんな当たり前のことすらも理解できない歌手やバンドはせめてライブチケットは販売するべきじゃない。今の時代、話し相手の有料サービスなんてものさえある。何千人にもライブチケットを売っておいて自分の語りたいことをやるというのでは理不尽だ。そういう場合は、むしろ観客にお金を支払うべきだ。
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