人の言動を曲解して「あの人がああ言ってたもーん!」と責任だけはその発言者に預けて自分は言いたいことを言ってスッキリするヤツは最低最悪だ。人を盾にして自分は安全なところから言っておきたい政治主張をする。こんなに卑劣なことはない。
爆笑問題の太田光、おまえのことだ。32年もの長きに渡って放送されてきた笑っていいとも!のフィナーレを飾る番組にて太田光がタモリがそういってたという風に安倍総理の警護をするSPの態度が悪かったと批判し、更に国(政府)がまるでバラエティー番組を下に見て舐めているとの主張をタモリへの労いの挨拶に場で述べていた。安倍総理が出演した笑っていいとも!は会社のロビーで生放送も見たし録画もしておいた。タモリはSPやバラエティー番組について触れてはいたが決して「批判」というものではなかった。単に場を和ませる軽い笑いを取るためにSPの重責と真剣さに触れたに過ぎない。勿論、その時に総理大臣が出演しているのだから国がバラエティー番組を舐めているといったことも相当に矛盾することであり、タモリは別にそういう批判的な趣旨で国政を担う議員たちが余りバラエティーに出演しないことに触れていたわけではない。そもそもタモリはなにも批判していなかったのだから太田光の理解力の欠如であり、まさに病名がつく位の人の心を読めない曲解なのだ。
言うまでもなくSPは総理大臣を絶対に守らねばならない立場にある。命を懸けた仕事だ。先日、笑っていいとも!出演時の総理の警護体制が余りにも緩くて
記事にて批判した。あんな体制なのだ。アルタスタジオに不審者が侵入していても不思議では無かった。だからこそSPたちは尚更のことスタジオ観覧者たちを注意して見ていたのだろう。そんなことはタモリも理解していたはずだ。ところがそのことに笑いを取るために触れたタモリの言葉は太田光のフィルターを通すと「タモリがSP批判をした」ということになって、わざわざ事前にかなりの注目を集め視聴率も非常に高かった笑っていいとも!のフィナーレで全国放送されてしまった。タモリを労うべき場、しかも最後の最後でこんなやり方はあんまりだ。太田光は悪いことをやっているのかどうかの判断すらついていないだろうし、タモリもこれを怒るわけにもいかない立場にあるのだろうが、あの会場の引き具合が全てを物語っていた。
昨日は22:10に帰宅。もう20年以上も笑っていいとも!を見たことがなかったくせにミジンコも流行に乗るような気分で居間のテレビを見始めた。帰宅直後にシャワーを浴びる前にテレビを見ること自体が稀だった。普段はともかく最初にシャワーを浴びて後からもう1度お風呂に入るなんてことが多いほど「先ずはシャワー」なのだ。昨日は予約録画まではしていなかったということもあり、どんな感じで笑っていいとも!が終わるのだろうかと興味があり「先ずはテレビ」にした。先に見ていたキパ子もミジ妻も結構面白いと言っていた。・・・・・ん?おわーっ!なんでこんな早い時間にミジ妻がいるんだーーー!飲んでこなかったのかーー!とかそういう言い合いをしているとキパ子にウルサイと言われたのでテレビに集中。照れ臭そうに挨拶をする今や有名どころか大物と言われるようないいともレギュラー経験者たちの姿が微笑ましかった。みんな上手くは伝えられないもののタモリのことが好きで感謝しているんだなぁと伝わってきた。そんな中、太田光の挨拶だけは会場も我が家の居間も凍った。32年もの長きに渡り番組作りに尽力してきたタモリの晴れの場で、タモリが人の好き嫌いがあることに始まり、SP批判や国を批判しているといった話を続けた太田光。そういえば他の番組でも他の出演者の言葉を遮って進行を台無しにする傾向が多いタレントだとは思っていたが、まさかタモリへの感謝や慰労のはずのスピーチでまでタモリの足元に地雷を埋め込むようなことを言うとは人としてどうかしている。
ところで太田光はお笑い芸人を自称するのならば他人の言動の揚げ足取りばかりに終始するのではなく自分が面白いことを言ってみるのはどうだろうか?全然笑えないが爆笑問題というコンビ名を語ることは良しとしよう。それも芸名というものだ。ガリガリガリクソンだって全然痩せていないからこそ本人を見たら笑えるのだ。爆笑問題もコンビ名が爆笑とついているのに爆笑どころかクスリとも笑えないところが面白いのかもしれない。但し、それはお笑い芸人と言えるだろうか?
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