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「成田・九条の会」(成田市)が六月から、毎月九日に「憲法九条を守ろう」と訴える行進を始めた。以前は駅前でチラシを配っていたが、集団的自衛権の行使容認が現実味を帯び、危機感を強めて活動を拡大した。行進中、通行人の反応は良くないが「戦争をしない国を守りたい。言葉が少しでも届けば」と歩 みを続けるという。 (渡辺陽太郎)
今月九日夕。メンバーは同市はなのき台からJR成田駅西口までの約三キロを歩いた。参加したのは協賛団体を含む四十代から七十代の三十人。手作りのうちわや横断幕を持ち「九条を守れ」「閣議決定撤回を」などと訴えた。チラシも配ったが、無視する通行人も少なくなかった。
駅前まで来ると、行進が面白かったのか、高校生の集団が手を振ってきた。この日、反応してくれたのは彼らだけだったが、参加者たちは満足そうだった。
「変わったことやっているなって印象に残るでしょ」と、ある女性は話した。毎月行進をして「また九条の人たちだ」と住民の印象に残れば、戦争をしない国の素晴らしさに気付いてくれるかもしれないと考えている。
賛同してもらえば、選挙で護憲を意識した一票につながる。同会世話人の纐纈(こうけつ)康世さん(70)は「九条の大切さを、自分の住む街から伝えていきたい」と話していた。(以下略)
チラシはことどとく受け取られず、デモに反応を示したのは、おそらくはなんのデモかの意味も分かっていないか茶化したであろう高校生たちのみ。この高校生たちは応援の為に本当に手を振ったのかどうかも怪しいものだ。それでもこの高齢者ばかりのデモ集団はなんでも前向きに捉える。だからこそタチが悪い。
責任ある大人ならば若い世代が住みやすい社会を残そうとするものだ。自分たちの思想の為には次世代の若者たちがどれだけ苦労しようがどれだけ危険に晒されようが構いはしないという老人たちはまさに老害というやつだ。70歳の老人が若い世代に手枷足枷をはめて先に逝く、なんという理不尽なことだろうか?世界的にも類を見ないほど侵略に対して抵抗力を有しない憲法であるのだから、次の世代の為にも憲法を改正することを考えていくことが責任ある大人の務めというものだ。
9条を守れという思想に盲目的に固執して、本当に日本人の命が守れると思っているその姿勢が未来の日本人を殺す。今も起きている世界各地での紛争を見れば明らかだ。9条があるから日本が侵略国に攻め来られていないわけではない。防衛力の劣る勢力が軍事力に勝る国に蹂躙されている、そんな状況がまさにウクライナでもガザ地区でも起きている。チベットや新疆ウイグル自治区の現状を見れば、長い間抗せずに座していたら民族浄化が始まってしまったという悲劇だ。なにも戦争をしろといっているわけではない。日本を狙う国々に易々と日本を蹂躙できないと感じさせる軍事力も、座して死を待つわけではないという国家としての強い意思を示すことも平和の為には必要なのだ。
さて、今回取り上げたデモ参加者たちは70代。70歳前半では実は戦争体験の記憶も曖昧なことだろう。それでも戦争体験者としてなにか凄い経験者のように戦争を語り、そして9条云々を語る。本当は0歳から幼稚園児くらいの年齢のときの戦争体験の記憶の正確さも問われるべきなのだが、とにかく戦争経験者が戦争体験の悲惨さを語り、それにこじつけて9条を守れと主張する。なんともこの状況に苦笑いだ。戦争の悲惨さをご存知ならばむしろ9条のリスクを切実に感じてなるべく早くの改憲を願うことこそが人間心理として真っ当なものだ。それほど戦争では9条のような思想は通じないし、もし9条を信じてしまったら犠牲者が増えるというものだ。本当に戦争、虐殺の悲惨さを知っているのならば9条なんてとんでもないと分かるはずなのだ。
つい最近まで戦争とは呼ばれていないが世界各地の無抵抗な人々が殺され続けている地域を訪れていた。民間軍事会社の情報網を使い、無残な話も散々聞いている。繰り返すが戦争をしようと言っているわけではないのだ。それでも無抵抗こそが虐殺につながるということを散々知ってしまった以上、9条を守れなんて到底考えられない。