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フランシスコ・ローマ法王が述べた「他人の信仰を侮辱することはできない」には安堵した。見識深く何事にも寛容であることでも有名ではあるが、とかくそのユーモアのセンスで取り沙汰されることの多い現在のローマ法王、即ちキリスト教の最高指導者が、一連のシャルリー・エブド誌の風刺画に関する議論について率直なご意見を述べられた。イスラム教ではなくキリスト教の最高位にある方が、風刺画とは称しているものの実質的にはイスラム教への侮辱イラストについてそのような見解を世界に示したことの意味は大きい。シャルリー誌や「私はシャルリー」という活動に参加している人々、またその活動を支持している欧州各国政府の開き直りよりも、ローマ法王の宗教の垣根を越えた発言の方がよほど人としてすんなり受け入れられるというものだ。本来はありもしない自由を掲げて他者を侮辱する権利がなによりも優先するといった狂気に満ちた主張と化している「私はシャルリー」という抗議運動は明らかに間違っている。
フランシスコ・ローマ法王は「他人の信仰を侮辱することはできない」と述べて、「表現の自由」にも制約があるとの認識を示したのだ。この発言に対してあろうことか英国の首相がわざわざ正気とは思えない反論をしている。米CBSの取材に対して「In a free society, there is a right to cause offence about someone's religion (自由な社会においては、他者の信仰に対して神経を逆撫でする権利がある。) 」
この発言の前に述べたことも記さないとフェアではないので下記に原文と日本語訳を記す。(※ 多少の意訳はしましたが発言者の発言の趣旨と合致していることは断言できます。)
"I'm a Christian. If someone says something offensive about Jesus, I might find that offensive. But in a free society, I don't have a right to sort of wreak my vengeance on them,"
"In a free society, there is a right to cause offence about someone's religion,"
私はキリスト教徒だ。仮に誰かがイエス・キリストについて私の神経を逆撫でするようなことを言ったのならば、 私はそれを快くは思わないだろう。しかしながら、自由な社会では私にはその不愉快なことを言ってきた相手に報復する権利はない。自由な社会においては、他者の信仰に対して神経を逆撫でする権利がある。
正直言って耳を疑ったが、本当に英キャメロン首相は取材に対してこのように述べている。詳しくは→ Cameron defends free speech 'right to cause offence'(ロイター 英文)
「offense about someone's religion」を当ブログでは「神経を逆撫でする」と訳した。もう少し直訳的(ただし翻訳としては不慣れな感じ)に訳すとすると「他人の信仰心を害する」という権利があるとこの英首相は明言したのだ。よくもこんな認識の人物が首相にまで登りつめたものだ。そこにも驚いている。
ローマ法王は基本的人権についてこれでもかというほど正論を述べられている。「他者を傷つけることなく行使」←まさにコレだ。これにはシャルリー・エブド誌を擁護する人々もぐうの音も出ないことだろう。これに反論したキャメロン首相の意見が余りにも酷すぎて呆れる。
言うまでもないことなのだが「自由な社会」とはそういうことだろうか?自由に他者を蔑み、自由に他者の最も大切なことを侮辱し、自由に差別や偏見を拡大する、そういうことが自由な社会で言うところの「自由」だろうか?この首相の発想は自由を都合の良いように解釈しているに過ぎない。例え自由な社会の中でも、認められる自由もあれば許されない自由もある。当たり前の話ではあるが、自由な社会でも犯罪を犯す自由は無いし、人を殺す自由も無い。勿論のこと他者を侮辱する自由も無いのだから、シャルリー・エブド誌の風刺画の数々は自由を自社の都合の良いように解釈しただけのイスラム教への冒涜だった。
あのパリでの370万人デモ。この酷い発言のキャメロン首相やドイツのメルケル首相や西側寄りだとパレスチナでは余り評判の良くないアッバス議長なども参加していた。首脳たちが腕を組んで行進する様子には不快感しか湧かなかった。テロへの抗議と称しているものの、あれではまるでイスラム教との戦争開始を示唆しているかのような威圧行動だ。フランスのテロではイスラム教徒も被害者であるというのに、あんな行進はまるで十字軍の再来だ。テロと戦うというのであればデモも行進もいらない。テロとの戦いに示威行動なんて逆効果だ。あれではイスラム社会が欧米諸国が歩み寄りを拒絶したのだと捉えてしまう。そもそも370万人ものデモ参加者が集った理由はテロへの怒りというよりも移民問題へのストレスだ。10人に1人は移民であるフランスでは社会問題の数々の元凶はとかく移民だと考えられている。事実である面と単なる差別に根付いた意見もある。移民大嫌い運動と称しては世界から差別だと非難されるので今までできなかったところに、今回のテロによりパリを中心とした移民大嫌いな市民たちの鬱憤晴らしにデモが利用されていた。
既にシャルリー誌の風刺画については批判の声が数多く上がっている。ローマ法王の平和を望む人ならば当然の見解について、それを否定するなんてことを英国の首相が選択するとは欧州とイスラム圏との世界大戦でも望んでいるんだろうか?キャメロン首相の言い分は結局のところ、自分たちは他者(他の宗教)を侮辱しても許されるしその権利もあるのだから侮辱された側は全て受け入れろということになる。つまりキャメロン首相やキャメロン首相の信じるもの全てが冒涜されて侮辱され続けても文句は言うなということも言える。そもそも侮辱されたときに報復する権利は無いとするキャメロン首相は同時に侮辱する権利はあるとしている。侮辱する権利が自由な社会の権利のひとつとするその認識がテロリズムと同様にして戦争の火種と化している。そんな危険な発想の人物が英首相とは世界は本当に今は不安定な情勢なのだとうんざりする。