三条河原といえば思いつくことがある日本人は数多いことだろう。義務教育の範囲で習う歴史であるし、石田三成や近藤勇といった有名な人物が登場する歴史ドラマの終盤で必ずといって良いほど登場する地名だ。そう敗戦側の大将たちの「晒し首」の場として有名な地だ。
ANTIFA京都という団体が以下のツイートを発信している。
先ず第一にISILに殺害されたとされるご遺族・ご友人の方々への配慮が欠如している。現時点では邦人2名の方々はISIL側の動画や声明により殺害されたと思われるという状況であり、追悼式などという邦人両名の死亡を確定的とする式典を部外者が勝手に主催することは余りにも僭越な行為だ。今この時点で湯川さん、後藤さんの生存を信じるという人々がいても何ら不思議なことではない。その考えを完全に否定するほどの判断材料は無く、できれば同じ日本人が残虐非道なテロ組織によって殺害されたということを信じたくないというのが自然な感情というものだ。邦人2名のご遺体を日本側の誰も確認しておらず、何も確定的なことが無い今の時点ですぐに追悼式とはあまりにも性急過ぎる。まるで状況はどうあれとにかく追悼式をやりたがっているかのようだ。
そして冒頭で述べたが、その追悼式の場所も余りにも不適切だ。京都在住でそれを知らないということも疑問なのだが主催者たちは日本の歴史に詳しくないのだろうか?そもそも日本である程度の教育(義務教育程度)を受けた人で冒頭で述べた「三条河原 晒し首」と思いつかない人がいるだろうか?特に石田三成の件はこの日本では余りにも有名な歴史だ。他にも数々の歴史的人物が三条河原で晒し首とされている。
豊臣秀次 ー 1595年(文禄4年)7月
豊臣秀吉より謀反の疑いをかけられ高野山で切腹を命じられる。その後、秀次の首は
三条河原へ運ばれた。秀次の首が据えられた目前で秀次の妻子、侍女など39名が処刑された。
石田三成
1600年の関ヶ原の戦いに敗北。捕らえられ後、六条河原で打ち首となり
三条河原で晒し首にされた。
近藤勇 ー 1868年(慶応4年)4月25日
新撰組局長。板橋刑場で刑に処せられた。その後、近藤勇の首は
三条河原に運ばれ晒し首にされた。
どうだろうか?この歴史を見るだけでも三条大橋付近の河川敷、つまり三条河原で邦人2名の追悼式を開催することがいかに異様なことか、いかに配慮に欠けたことか想像に難くないことだろう。なぜに邦人2名にとっては特にゆかりがあるわけでもない三条河原で追悼式なのか?これではまるで悪い冗談だ。いや冗談にしては余りにも配慮に欠けている。
さて、このANTIFA京都という団体が標榜していることはこの通り→『打倒安倍自民。2015年4月の統一地方選に向けて動きます。この社会に公正と民主主義を!』
はぁぁぁぁ・・・・。ため息が出る。邦人2名への思いだとか悲しみだとかそういったことが全く感じられない追悼式が三条河原で行われようとしている。なんともやり切れない気持ちになる。
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