エジプト国内が政争で混乱していた時にシャルリー・エブド誌が表紙に掲載した趣味の悪い風刺画が以下のもの。(※ 当ブログはこれを風刺画だとは考えおらず侮辱画だと考えます。)
シャルリー・エブド誌は、イスラム教徒が銃撃されているイラストを掲載して「コーランはクソだ」という表題とともに「(コーランでは)銃弾から守れない」と嘲(あざけ)っていた。当ブログを定期的にご覧の皆さんは、もう
シャルリー誌の風刺画の下劣さに触れた記事や
「私はシャルリー」という運動が間違っていると述べた記事などをご覧になっているであろうから、シャルリー誌ならびに一連の風刺画についての見解は今回は省略したい。もうそれは説明せずともシャルリー誌のやり方が褒められたものではなく、また表現の自由では言い訳にならないやり方であったことは皆さんには伝わったことだろう。結局のところ、マイナー誌が発行部数を伸ばすための過激なやり方がエスカレートして同誌が暴走していたという情けない状況だったのだ。編集長がひざまずかずに立ったまま死ぬといった発言がそもそもあさっての方向の弁であり、単に同誌は「イヤガラセを止めてくれ」と各方面から求められていたに過ぎない。その答えが表現の自由がどうのと今もって主張している者たちは
「基本的人権は他者を傷つけることなく行使されるべき」と述べたローマ法王の爪の垢を急いで入手して煎じて飲むべきだ。
仏語で「c'est de la merde」とは「~~~はクソだ!」という意味だ。シャルリー誌はイスラム教の経典であるコーランを「クソ呼ばわり」したのだ。基本的人権のひとつである表現の自由が他者を傷つけることなく行使されるべきと述べられたローマ法王の言葉が沁みる。風刺画だから許されるといったシャルリー・エブド誌の主張は単なる利己的な表現の自由の乱用であり、経典を銃弾で穴だらけにしてその宗教の教徒が撃ち抜かれる絵を掲載し、しかもその経典をクソ呼ばわりだ。こんなことが表現の自由を言い訳にして許されることが自由な社会で言うところの自由とは到底考えられない。
このシャルリー誌の表紙を皮肉ったフランスの16歳の高校生が「テロ扇動罪」という罪状で逮捕・拘束された。少年がSNSで公開した画像が以下のものだ。シャルリー誌の例の編集長がシャルリー誌を盾にしたものの銃弾は貫通しているという風刺画だ。シャルリー誌がコーランを侮辱したように「シャルリー・エブド誌はクソだ!」というタイトルを使っている。つまりシャルリー誌が以前にコーランとイスラム教徒を侮辱したことと同様のことをシャルリー誌に向けて行ったということだ。これぞ風刺画だ。
詳しくは↓
Apologie du terrorisme. Un lycéen nantais poursuivi pour un dessin (Ouest France 仏語)
フランス政府・法務大臣が即座に反応して逮捕状を発行するように検察当局に働きかけた模様。これではもはやフランスは恐怖政治の全体主義国家だ。
少年を逮捕・拘束した罪状がテロ扇動罪というのも皮肉なものだ。フランスの検察当局は、イスラム教を侮辱したシャルリー誌の表紙のときには同誌の編集長や風刺画家にテロ扇動罪を適用していない。ところがシャルリー誌を皮肉った16歳の高校生にはテロ扇動罪なのだ。これはどう考えてもおかしい。テロを扇動していたのはシャルリー誌であり、少年はテロを煽るどころかフランス国民のしかも少年ですらシャルリー誌の姿勢をおかしいと考えているとSNSで世界に発信してむしろイスラム教徒たちとの相互理解の架け橋にすらなっているのだからテロを扇動どころか事態の鎮静化に貢献している。はっきり言って「私はシャルリー」という愚かな運動に参加することのほうが遥かにテロ扇動であり、少年の皮肉がフランス国内から出たことはむしろフランス、イスラム圏ともにとって歓迎すべきことだ。
フランス政府はアタマを冷やすべきだ。少年を無茶苦茶な罪状で逮捕するよりもやるべきことがあるだろうに。政府としてシャルリー誌のやり方は間違っていたと認め、それを長年放置していたことを謝罪することが先決だ。開き直ってシャルリー誌を擁護する悪い方の頑固で誤りを認めないフランス気質を前面に出すなんて馬鹿げたことを恥じるべきだ。少年にも勿論「エスプリ(風刺)を理解していなくてごめんなさい」と謝罪して釈放するべきだ。フランスの義務教育に「風刺」の必要性すら感じる今日この頃だ。
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